おもむくままに

学校の先生を退職し、リゾートバイトしながら日本一周中。世界一周も計画中。 オラクルカード、占星術も勉強中。そんな日々の記録。

ヴィパッサナー瞑想

 

熊野古道へ行く前にヴィパッサナー瞑想に参加(^^)

瞑想ができるようになりたいという好奇心だけで行ったけど、それ以上のものをもらった

 

すべてのものは移り変わっていく

だから

それがほしいと渇望したり

それが嫌だと嫌悪することに

なんの意味があるのか

 

いつかは消えていくもの

それに執着するから苦しみが生まれる

 

瞑想が始まってすぐ

骨盤が痛くて痛くて

 

でも痛みもいつか変化していくもの、ずっと痛いわけではないと

そう意識してたら

 

涙がでてきた

 

変わりたくない

って強烈に思ってる自分がいた

 

痛みをなかったことにしないで

って泣いてる自分がいた

 

痛みを嫌悪してきた自分、拒絶してきた自分

 

なかったことにしないでって痛みが言ってる気がした

 

ちゃんと向き合わなきゃいけないんだなと思った

 

痛みにも意味があり

嫌だなと思うものにも意味がある

 

それを身体をとおして教えてもらった

 

そんなことが腑に落ちたとき

体の痛みがどんどん消えていった

そこまでいくのに一週間かかったけど

 

でも本当に痛みが強すぎて

私には耐えられなくて

なんでこんな痛い思いしてまで私瞑想してるんだっけって思ったときに

 

自分を変えて人に認められたい

有名になりたい

特別な存在になりたい

 

そんな感情がどんどんでてきた

でもこんな痛い思いをしてまで

本当にしたいのかと自問自答してったら

いつの間にかどうでもよくなってる自分がいた

 

変わらなくていい

そのままでいい

 

って。

 

じゃあ瞑想どうすんの?

ってまた自問自答がはじまり(笑)

だって別にこのままでもそこそこ幸せだし何も不自由してない、やりたいこともできる

私がこんなに辛い思いをして瞑想する意味はなんなのか、そんなことを考え始め。

 

 

ブッタはなぜ座り続けたのか疑問に思った

命をかけて自分の人生をかけて

なんで座り続けたのか

 

自分の得だけで

こんな辛いことを人ができると思えなかった

相当慈悲深かったのか

 

 

そう思ったときに私に慈悲深さはあるのかと

 

ない

 

ないわって思った

 

そんなに辛い思いしてまで誰かを助けたいと思わない

 

じゃあ瞑想やめるか?

でもとりあえずやってみて何も変わらなければ変わらなかったで良いじゃん!

 

って思考の繰り返し(笑)

 

そんなときにふと

小さい頃にテレビでみた

アフリカの紛争でボロボロになって泣いてる子供の映像をみて可愛そうだと思った時のことを思い出した

妹が自殺したあと、もう二度とこんな死に方を選ぶ人がいない世の中にしたいと思ったことを思い出した

 

これは慈悲?

でもなんか違和感。

 

妹のお葬式で、妹に手紙を書いた

 

もし次に生まれ変わるというシステムが存在するのなら、もう一度お姉ちゃんをやらせてほしいと。次は絶対助けるからって。

 

そんなことを思いだしたときに

それはわたしの慈悲なのか?

なんか違う。

 

そこにも何か妹に許してほしいと思ってる自分がいる

純粋な慈悲じゃない

 

そう思ったときに

 

私は妹に対して愛があったのか

血のつながってる実の妹を愛していたのか

 

実はずっとひっかかってた

心からうなずけない自分にひっかかってた

 

妹が自殺したとき

言葉にできない絶望感と悲しみでいっぱいになった

何が起きたのか頭で理解することができなかった

絶望感と悲しみ意外の感情がなくなった

こんなことが人生で起きるのかって

自分がどうやって笑っていたのかわからなくなった

今まで自分がどんな風に過ごしてて、これからどんな自分で生きていけばいいのかわからなかった

妹の存在しない世界が普通に存在してる

何事もなかったかのように世の中が動いてる

妹が存在しないのに

 

 

キレイな空が悲しくて

キレイな花が悲しかった

 

 

なんだけど

その中で一つだけ

ホッとしている自分がいた

 

もう妹と比べられることもない

妹よりできない自分に劣等感を感じないで済むって。

 

それに気づいてた

 

でも、それを明確に自覚してしまったら

生きていけないと思った

 

実の妹が

生まれたときから知ってる妹が

優しくて慕ってくれてた妹が

愛すべき妹が

自殺をしたのに

ホッとしている姉

 

そんな自分を許せるわけがなく

気づいてたけど見ないようにしてた

でも実は今までそこが私は本当はつらかった

 

最低な姉

最低な人間

愛がない人間

 

身近な人を大切にできないで

他の人を大切にできるわけがないと

 

その事実を受け入れることが何よりつらかった

 

でも、この機会に向きあってみた

 

私は妹を愛していなかったのか

私は妹がいなくなってほしいと思っていたのか

 

そう向き合ってみたとき

 

 

親に認められたい自分自身の強烈な渇望

妹の方がなんでもできるっていう現実を強烈に嫌悪していた自分

 

それが本当の気持ちを見えなくさせていたんだって思った

 

本当は大好きで

とっても大切な存在だった

 

でも自分の強烈な渇望と嫌悪のエゴで見失ってたんだ

って思ったとき

 

私は小さいとき親から愛されてないと思う瞬間があったときのことを思い出した

 

でも、それも親自身がもってる渇望と嫌悪のあらわれで、本当は愛されてたんだってふと思えた

 

涙がとまらなかった

 

もう二度と渇望と嫌悪に飲み込まれて

大切なものを見失いたくないってはっきり思った

 

だから私は瞑想がしたいって

本当の気持ちを見失いたくない

って思った

 

 

 

 

でも、本当の気持ちを見失ってもいい

人間だから

 

見失ったらまた戻ればいい

全ては変わっていくから

 

でもまだまだ奥は深そう

 

何かがはじまった気がする

 

本当にベストタイミングで

ヴィパッサナー瞑想は相性もよかった気がする

本当に感謝(о´∀`о)

何か還元したいな